
といっても道中はかなり過酷を極めました。予定出発時刻から90分遅れだったうえに、高速道路は季節はずれ?の雪。タイヤはとっくに替えてあるので、とりあえず行けるところまでは行こうと。わたしは途中から運転するつもりでさとにおまかせでしたが、ふと目を開けると吹雪。よくこれで敦賀まで来られたなぁと。
島根県方面へは敦賀から、舞鶴小浜道、そして中国道を進むのが最短距離です。ところが舞鶴小浜道も雪なのではないかと。時間がかかるのを承知で、北陸道から名神経由に変更。ところが、米子道の途中からのタイヤ規制が、当然ですが突破できなかった・・・。
それでも予定より、2時間半遅れくらいで済んだはず。最初の目的地、石見銀山に到着。

世界遺産になる前に来たことがあるのですが、当時とは違って、直接銀山エリアにクルマを乗り入れることはできなくなっています。世界遺産センターからシャトルバスに乗って、さらに4〜50分くらい歩いて、ようやく当時の坑道が残る龍源寺間歩にたどり着きます。なのでまずはしっかりと事前学習を。

バスを降りたらもうお昼だったので、銀山エリア中心地の蕎麦屋に行きました。

島根県はそばも有名。おいしくいただきましたよ。よっしーも大人サイズを1人前食べたのにはびっくりした・・・。

あとはひたすらに歩きます。銀山エリアをすべて歩こうと思ったら、半日コースだそうです。途中、カフェとか雑貨屋さんとかもあるにはあるのですが、いちいち寄り道していたら日が暮れてしまうかもしれない・・・。

だいぶ奥まで来ると、こんな感じで間歩(当時の坑道)が口を開けていたりします。もちろん立入禁止ですがね。

わたしの記憶が確かならば、20年くらい前だとここまでクルマを乗り入れることもできたはずなんです。その証拠に、駐車場を示す看板が。でも今となっては、ここへは徒歩かレンタサイクルか、ベロタクシーくらいしか方法がありません。まぁ、道が狭いので、それでいいと思うんだけどね。

ようやく龍源寺間歩に到着。

手掘りの坑道が続くのですが、このあたりは明治時代に再開発して、拡幅した坑道だったかな。

この先は入れないのですが、江戸時代の坑道はこの広さだったのだとか。前から人が来たら、絶対にすれ違えません。ちなみに途中の随所に、銀の鉱脈を見つけて掘り進めた脇道のようなものも多数あります。

この段階ですでにおやつの時間ってところ。予定ではさらに街歩きをしたり、日本一高い日御碕灯台を目指したりと予定があるにはあったのですが、時間がないので出雲大社へ。

巨大な注連縄といえばこっち。ということで、拝殿ではなくて神楽殿の方を。もちろんちゃんと参拝しましたよ。ちなみにここから向かってさらに左に進むと、15年前に結婚式をしたおくにがえり会館があります。当日は雨だというのに十二単の新婦がいたこととか、絡み合うようなルートで歩くよう指示されたこととか、割とどうでもいいことは覚えているのですがね。
