2019年08月11日

なんにも言えない

 愛用しているほぼ日手帳って言いながら、有効活用はできているんだろうか。正直、一時期ほど何でも書いてないけど愛用しているほぼ日手帳。後ろの方の白いページに、「行きたいところリスト」というものを書いています。すぐ行くわけではないけれど、どこかに残しておかないと忘れ去られてしまうようなレベルのところ。だから沖縄県とか、高知城なんてのは書いてありませんね。

 ちなみに今のところ、記載されている場所で一番遠い場所は、恐山です。ちゃんと呼べるようなイタコさんは、高齢化などもあってそんなに残ってないらしいですけどね。イタコとして登録されているのは、5人だったかな? しかも、なかば観光地化したような恐山に常駐しているわけでもないらしいのだとか。行きたいところリストに載っているだけあって、ちゃんと調べましたよ。

 さて、今回行ってきた、行きたいところリスト登録箇所。なんか世界遺産のような(笑)? 
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 いつ、どのようにして存在を知ったのかは忘れましたが、ここ1〜2年の間に知ったんだと思います。ナビがないと行けないような、入り組んだ道の先にあります。入口の前に立つと、右のドアから入るのか左のドアから入るのか、一瞬躊躇しますがわたしは左から入りました。別にどっちから入っても、中に入れるという結論は同じです。美術館としてはものすごく珍しいと思う、後払い方式なので、中に入った瞬間からこの施設の世界観が押し寄せてきます。
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 施設の名前が語るとおりの場所です。そして展示されている絵画には、作者の名前、美術的な経歴(どこの学校を出たかとか、〇〇をしながら独学で絵を描いたとか、〜に入選など)、そしていつ応召して、どこで亡くなったかが、極めて簡潔に書かれています。人によっては、その方にまつわるものも展示されていることがあります。内地に残る妻や親、子への手紙や、使っていた道具、美術学校の卒業証書、写真などなど。

 置かれていたノートに書かれていたことをきっかけに調べました。「国語の時間にここの存在を知って、母にわがままを言って連れてきてもらった」と。なんてステキなわがままなんだろう。中学3年、教育出版の教科書に、「無言館の青春」の一部が載っているらしいです。わかってたら、買えばよかったなぁ。いや、館長さんのたくさんの著作も買うことができるので、正直どれがいいのかなんてわからなかったんだよね。

 第二展示館の前にも、こういったものがあります。右側のポストは、開かないポストなんだそうです。
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 第二展示館も、コンセプトは同じです。ただし、「傷ついた画布のドーム」というだけあって、天井をついつい見てしまいます。出征が決まったら、自身の持ち物をいろんな人に形見分けし、そして前日は寝る時間を惜しんで頭像の作成。「なんでそこまでするの?」と問う姉に対して、「これが自分自身だから」と答えた弟。その頭像が、天井を見つめています。頭像の横にしゃがんで、頭像が何を見ているのかを見ようとしてみました。
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 内部は撮影禁止なのですが、公式サイトの写真が豊富なので、館内の雰囲気を感じるにはおすすめです。でもやっぱり、ここは作品を直接見るところなのでしょう。仕上げた作品がこうして、ほかの人の手によって発表のチャンスが与えられる。作者はもういないけれど、作品が語ってくれる。そこには、展示している側による解釈や、見る側による解釈があるとしても、作品には何かを語るチャンスが与えられている。

 では、展示されることになっていた作品が展示されなくなってしまった件については、どうなってしまうんでしょうねぇ。見る、見ない、肯定する、しない、批判する、しないなどは、作品に関わろうとする者に委ねられるものなのであって、誰かの判断や解釈、決定がそのとおりになることとは違うと思うんだよね。戦争のなかででも絵を仕上げることができた当時のほうが、もしかしたら一部の芸術家にとっては優しい時代だったのかもと思うと、なんとも言えないものを感じるのです。
posted by てつりん at 23:51| Comment(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする