2020年05月04日

手段と目的は違う

 かなり前のことですが、積ん読のなかの1冊、鴻上尚史の「不死身の特攻兵」を読了しました。2月くらいのことだったかなぁ。買ったのはもっと前ですがね。出張のついでにサンダーバードの車内でとか、苗場に行ったついでとか、手持ちぶさたになる時間帯を使って一気に読んだんだ。
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 鴻上尚史については、夜中にラジオに出てたとか、ドラクエ3の曲を歌ってたとかいう話に共感してくださる方は、きっとわたしと同年代でしょう。で、わたしは後で知った、演劇をしていた方だという認識のほうが強い方は、きっとわたしよりも年上なんでしょうね。まぁ、ここでその話は置いときましょう。最近だと人生相談でもよくお見かけします。個人的にはここで語られる感覚がかなり好きだったりします。

 本の内容は、まぁタイトル通りのものです。でもね、この本を知るまでは、特攻に行ったけれど奇跡的な生還を果たした人がいるというイメージを持っていたのですが、この本に関しては違いますね。帯(赤線から下が帯ってでかいだろう・・・)に書かれていることがほぼ全てです。

 特攻というのは、特攻そのものに対する賛否は置いといて、特別攻撃を略して特攻なわけであくまで攻撃なわけです。たぶんね。この本を読むまで、攻撃するために、少しでも敵軍にダメージを与えるという目的のために、当時の若者は命を散らしたのだと思っていました。ということは、視点を変えて考えたなら、敵軍にダメージを与えたりすることができるのであれば、別に死ぬ必要はないわけですね。それができますけど。貴重な飛行機乗りを死なせずに、何度でも攻撃をしたほうが、より敵軍にダメージを与えられるわけです。わたしにはそれができるんですけど! と言って登場するのが佐々木友次(ともじ)です。

 鴻上尚史自身は、この佐々木友次氏のことを知って、丹念に調べていくだけでなく、直接お会いしたいと考えます。そして、実際に会うことができます。それについては終盤の、大事なところかと思うので、そこまで書いちゃうのはやめときます。不死身なのは運に恵まれたというのもあるのでしょうが、特攻というイメージとは違って、佐々木友次自身の飛行機乗りとしての腕を頼って、死なないようにすることが敵軍にダメージを与えるという目的に叶うからです。つまり、死のうとしたのではなく、死のうとしなかった特攻兵の姿が描かれています。そして、死のうとしなかったのは、臆病風に吹かれたとか命が惜しいとか言うのではなくて、本来の目的に即して考えれば、死ぬことが得策だとは思えなかったから。

 本書に登場する上官は、「次こそ必ず死んでこい」とか言うわけです。しかも、何度も。まぁ、特攻で華々しく死んだと報道され、地元の誇りとかになっちゃって、さすがにまだ死んでませんでしたってのもなんだかなぁってことなのでしょう。でも、そもそも特攻って何のためにあったんでしょうね。特攻という手段によって、敵軍にダメージを与えるという目的があったんじゃないのかと思いたいのですが、ここでのタイトル通り、登場する上官はどうもそうではないんだなぁ。死ぬことを目的にしている。上官自身は、死のうという覚悟なんて見せかけの口だけでしかないのに。そんな、手段と目的を取り違えている行為によって、どれだけの人間を死なせたのかと。読んでいて、涙が出ましたよ。

 でもなぁ、手段と目的を取り違えているようなことって、山のようにあるよねぇ。憲法を変えることばっかり言うけれど、何のために変えたいんだろうねぇ。病気がはやらないようにしたいはずなのに、不完全かつ効果の怪しいものを配るとか。9月入学とか言ってるけど、それで国際基準とあうなんて、手段と目的を取り違えているようなことを言ってる連中がいるから、なんだかなぁ感が出るんだよ。学校を再開して、学校クラスターが多数できたらまずいから、学校も休みます。でも、学習の遅れも心配なのですが、3月末に終われないことが懸念されるので、9月入学にしたい(正確には来年8月までに終わればいいことにしたい)んですって、言えないものかねぇ。ちなみに裏表紙にもでっかくかかる帯には、「”いのち”を消費する日本型組織に立ち向かうには」と書かれています。
posted by てつりん at 22:24| Comment(0) | 読書・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする