結構長い間心の片隅にあって、なんだかもやもやしていたことについて、まとまりが出てきた気がするので書きます。
ことの発端は、タイトルにある表現とは違うけど、そういう方向性の話を聞いたから。で、以前からなんとなく感じていたあれやこれやが、1本の先につながるように見えてきたから。
テレビの情報番組って、コロナ関連の報道が多くないですか? 一時期だいぶ減ったとはいえ、何人の感染者が出たとかいった話。感染者の数を「速報」とかいって報じるんだけど、内容をよく見ると数しか言ってない。もちろん、感染者数をもって危機感を喚起する手法を必ずしも責めるつもりはないのです。数字はある意味、ウソをつかないからね。
ところがそのことに違和感を持ったのは、感染者数が減りだしたと思ったら、ワクチンが広まりだしたと思ったら、ワクチンへの不安を報じるようになったこと。もちろんかなり大急ぎで打てるようにしたわけで、そのことに対する不安はあるんだろうな。でも思ったんだよ。もしやテレビの中の人たちは、人の不安で飯を食ってないか?と。だって本来ならば、ワクチンの摂取が増えれば、感染者数は理論上減るわけで、少しは危機も去っていくはずなんだ。でもそうは見えない。まさか次は、オリンピック開催への不安で飯を食うつもりじゃぁ、ないだろうな。各競技の放送や報道で、稼ごうというその裏で。
人の不安で飯を食うことについて、2番目に気になったのがこれだったんだ。正直コロナの話はもっと後のことだったと記憶している。最初の部分のスクショだけですが、気になったらタイトルで見つけられると思う。

要するに、包茎であることの不安で、包茎手術を広めて飯を食うって話だな。それと同じ方向にあるのが、人の見た目を使って商売する手法の類。痩せないとだめとか、脱毛しないとだめとか、ハゲてたらだめとか。大体の人はそういうのには引っかからないんだろうけど、コロナみたいな誰にでも起こりうることは、それだけ誰にでもありえる不安なわけで、飯を食いやすくなるんじゃないかと。
で、そんな話をしていると、なんだか霊感商法にも通じるものがあるよなぁと。壺を買わないと不幸になるなんて類いのものね。もしかして、これくらい勉強できないと高校いけないよとか将来がやばいよとか、年収はこれくらいないと結婚できないよとか35歳をすぎると結婚できないよとかいうのも、同じような線上に位置するものなんだろうか。不妊治療は何歳までとかいうのも、もしかして人の不安を煽っているんだろうか。いや、時間が経つにつれて、成功率が低くなっていくことが事実であるとしても、その伝え方次第では人の不安を煽ることになるんじゃないかなぁ。
そうやって書いているうちに思った。人の不安で飯を食う奴等もなんだかなぁと思うけれど、人の怒りで飯を食ってるような奴等もなんだかなぁって気がしてきた。なんていうんだろう、怒りの感情を起こさせるような事実があることに対して、解釈を加えて報じることによってより怒りの感情を増幅させるようなやり方といえば伝わるのかなぁ。
なんだかもやもやするようなことが多い今日このごろですが、そういう時こそ自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えるってことが大切なんだろうな。