2006年09月07日

知ったかぶりの感情

 知らない人を好きになることって、普通はないですよね。同じ電車で見かけるだけの人を、好きになることは通常有り得ない。ただ、ドラマの脚本じゃないけれど、髪型や服装などからその人の考え方を推測することで相手に関する情報を獲得していった結果、好きになることはあり得るかも知れない。人とぶつかって「あっ」とか言ったりする声を聞いて、好きになってしまうことだってあり得ると思う。

 で、話の展開はやや強引かも知れないが、一部で何かと話題の愛国心について。なんだか右翼的な感じがして心地よくない言葉に聞こえるなら、国を愛する心でもいい。それでもダメなら日本国内で好きな場所とか、好きな人とか、好きな食べ物とか、とにかく何かを好きだという気持ちでもいい。それらのバックボーンには、今住んでいる日本があるはずだから。目が好きだと思っているうちに、その人そのもののことを好きになるのに似ている。

 愛国心を教えるというのは、正直どうも薄気味悪い感じがしていただけません。かといって、戦前のことを思い起こすほど詳しくはない。でも、戦前のことを例として引きずり出してきて、紋切り型にあんな時代になるととやかく言う連中に対しても、どこかしらの違和感が消えない。







 第三者に「あそこでバスを待っているあの女のことを好きになれ」と言われても、一瞬で心をつかむほどの容姿とか巨乳とかがないとねぇ。姿形が美しいからとか、乳がでかいからとかいう理由で好きになったところで、姿形だけを愛するとかでかい乳だけを愛するとか、そんな器用なことできないし。例えるならばそんな、「押しつけられ感覚」からくる違和感が、政治レベルから聞こえてくる愛国心というものに対するうさんくささを増幅している気がする。

 人の心を動かそうとすることはあっていいと思うし、誰しも何らかの形で人の心を動かそうとしているはず。ただ、誰もを動かそうとするのは、全員の心を同じように動かそうなんてのはおかしい。そもそも不可能だと思うし。だからといってわたしは、愛国心を論じるほど大所高所に立つ立場ではないし、むしろそういう動きがある中で、むやみに違和感を持ったり、逆らったりするのではなく、なおかつ自分自身にも逆らわない範囲で何ができるんだろうと考えるべき年齢に来ていると思う。

 そこで考えたいのが、今の教科書。わたしの年代だと、中学校の地理はかなり網羅的だったはず。世界地理に関しては欧米、アジアを重点的に学習しながら、オセアニアで大鑽井盆地とか習いませんでした?軽くながらもアフリカだって、南アフリカではアパルトヘイトという人種差別政策があり、コートジボワールはカカオ生産世界一と習ったはず。その後の日本地理では、九州地方から東北・北海道地方までを順に学習したはず。ただしこうしたやり方は詰め込み主義的であるとか、主体的な学習につながらないという理由から、すでに過去のものになっています。

 では、今ではどうなっているのか。某最大手の教科書を例に取ると、まず緯線や経線など地球儀の使い方。世界の国々(主要国の名前と位置関係)、国境、世界地図や日本地図のおおざっぱな書き方などのほか、世界と日本の地域区分など、どちらかというとそこに住む人々の姿が見えにくい抽象的なものがはじめの方に来ます。駅弁を例にとって日本縦断の旅に出るという、いい大人には興味くすぐられまくりの単元もありますが、当然駅弁を覚えることが本旨ではなく、本来は自分で考えて日本旅行の企画を立てるのが本旨。今なら北九州から山口、広島、岡山、大阪、愛知、静岡、神奈川と経て群馬に至る日本自動車工場制覇の旅とか、サッカーJリーグスタジアム完全制覇の旅とかも思いつくかも知れませんが、この単元を学ぶのは2〜3か月前まで小学校にいた連中。多くは期待できないのです。

 そして驚くことにその後学習する日本地理は、身近な地域(自分たちの市町村)、東京都、福岡県、岩手県だけです。なぜ岩手県?こっちが聞きたいです(爆)。しかも通常、身近な地域+自分の都道府県+どこかもう1〜2つで終了。多くの場合東京と福岡を選びますから、日本地理の学習は47都道府県のうち3都県のみです。残りの44は、それっきり。そりゃぁ島根県と取鳥県(笑)の位置も逆になったりしますよ〜。

 歴史はどうなのか。高校で世界史が必修になっていることもあり、ポリスの成立やローマ帝国などヨーロッパ古代史、イスラム世界の成立やヨーロッパ近代市民革命は削除されています。それはそれでいいのでしょうが、高校の選択教科から地理を選んだ場合、中学校で学ぶ日本史が人生最後の日本史学習になる可能性もあります。じゃぁ日本史を選んだ方がいい?う〜ん、地理もちょっと微妙な状態ですから、どっちがいいとは言えないんですよ。その対象に対する情報が多い方が好きになりやすいと言っても、では詰め込み主義とか言われた従来の形がよいとも言えないし。

 それを踏まえて愛国心の話に戻ります。なんだか誤解を招きそうなこともあって好きじゃない響きなので、「自分が生まれ育ち、今も住んでいる場所に対する愛着」くらいにしておきましょう。でも、知らないで、どこまで好きになれるのか。どこまで愛着がわくのか。イギリスではきのうの大ニュースを、「世界最古の皇室に・・・」という言葉をつけて報じたそうです。最古が2600年以上前から始まるのかどうかはさておき、古いものと伝統を重んじるイメージがあるイギリスにおいて、世界最古と報じられたことが個人的には目からウロコでした。あのニュースを聞いたイギリス国民の中には、古い伝統や文化が息づく国日本のイメージが再認識されたんじゃないかと思うのです。個人的には報道機関のように様付けにせず呼び捨てにしていますが(爆)、それでもこのニュースによってこれまで以上に愛着と尊敬の念が生じたのは確か。一般家庭以上に、内乱やクーデターなど様々な困難に巻き込まれてきたはずの中で、とてつもなく古くから続いている一族というただそれだけで、すごいと思いますよ。

 自分たちのことすら知らないで、中学校レベルの知識で大人になってもいいのか?日本人なのに、日本地理の勉強が47都道府県中の3つで終わりなんておかしくないか?日本人なのに、日本の歴史を学ぶのがこれで最後かも知れないってどうよ?そんな疑問をストレートにぶつけてみるだけで、何かしら心に思うものは生まれます。全員にではないのが、力量不足を感じさせられますが。そしてここから、学んだ3つの都道府県のほかにも自分で調べてみよう(都道府県を調べようという単元はあります)とか、しっかり日本の歴史を勉強しようとか、先日まで小学生だったような連中に考えてもらい、主体的な意欲を駆り立てる。そういうのって、まわりまわって「自分が生まれ育ち、今も住んでいる場所に対する愛着」につながっていくんじゃないか。

 言い換えると法改正などの手段を使ってではなく、いろんなことを知った上で誇りや愛着を育てていくのが、本来の姿じゃないかと思います。誰かに「あの女を好きになれ」と言われて好きになるような人はいなくても、何らかの形で彼女の情報を仕入れて知っていくうちに好きになることはあり得るのと同じです。もし理解を深めていった結果、この国に嫌気が差して飛び出していく人が出たとしたら、それはそれで立派な国際人の誕生じゃないかと思います。
posted by てつりん at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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