2011年11月16日

ラス1

 昨年の夏から読み続けている、山岡荘八の「徳川家康」第25巻を読み終えました。あと1冊です。

 いつか終わりが来るような、長い何かの終わりが見えてくると感じるのが、「この時間がもっと続けばいいのに」という気持ち。もちろん、「まだ終わらないのか。早く終わればいいのに」って気持ちもあるときはあるけど、この本に関してはそれがない。こんなに長い作品を読んだのはこれまでの人生で初めてだけど、これまでの人生では1巻を読むだけでも大仕事なわたしだったけど、それだけいい時間を過ごせてきたということなのでしょう。

 25巻を読了した段階で、ストーリーは大坂冬の陣・夏の陣を終えて、豊臣秀頼が死んだところまで。捕らえられて自刃ではなく、鉄砲の射撃で殺されたって感じの描かれ方になってます。で、話は変わりますが、わたしは今年の大河ドラマも見てます。録画したものをあとで見ているので、2〜3週間くらい遅れていますが。大河ドラマと比較して実に興味深いのが、家康と2代将軍徳川秀忠の、豊臣秀頼に対する気持ちの違いです。

 「徳川家康」だと家康自身は、孫の千姫の夫である秀頼だけでなく、息子秀忠の妻の姉にあたる淀殿までも救いたいと考えているのに対し、秀忠は豊臣家の排除を考えていて、その狭間で苦悶する家康の姿が描かれます。一方、大河ドラマ「江」ではその逆で、家康は秀頼の排除を考えているのに、秀忠は秀頼を救いたいと奔走しながらも結局はうまくいかない姿が描かれている。

 ともにドラマや小説でのことなので、歴史的事実は想像の中で思いをめぐらす程度でしかできないんだろうけど、この対比はおもしろいなと。もちろん主人公(ドラマだと主人公の夫)を、悪者にはできないって事情は多分にあるんだろうけど。
posted by てつりん at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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