2012年07月09日

逃げろ!

 ある程度から上の年代だと、ラジオの深夜放送にまつわる思い出を語れる人は多いと思います。

 わたしの場合はやっぱりオールナイトニッポン。デーモン小暮の月曜日(今思うともう少し早く知っていれば、中島みゆきにも早く出会えたかも知れないのだが)に始まり、とんねるずの火曜日、小泉今日子の水曜日、ビートたけしの木曜日、鴻上尚史の金曜日、そして松任谷由実の土曜日。年代がバレそうだと思うとともに、今思うとなんて豪華なラインアップだったんだろう。

 とか言いながら、実は当時、一番何をしているのかがわからなかったというか、どこの何者かがわからなかったのが鴻上尚史。番組も終わってずいぶん後になって、鴻上尚史のことが何となくわかるようになりましたが。金曜日と土曜日は、よく聴いてましたね。

 そんな鴻上尚史の文章を、ふとしたきっかけで見つけました。ネット上のものとしては古いとは思うけれど、そこから発せられるメッセージはちっとも古くない。むしろ、6年前のものとは思えないくらいに新しい。

 若すぎるうちはどうしても、自分の周囲に広がる、ごく狭い世界しか知らないものだと思う。ある程度大きくなって、それで初めて自分の知らない世界が果てしなく広がっていることを知るんだと思う。そして、たぶん、いくつになっても自分の知らない世界が果てしなく広がっていることに、変わりはないんだろうとも思う。知らない世界を知れば知るほど、その先にまた新しい、知らない世界が現れるような感じで。

 若すぎるがゆえに、自分の周囲に広がるごく狭い世界しか知らず、その世界のことで苦しんでいるのなら、そこにとどまる必要なんてない。あなたが知らないだけで、もっと広い世界は広がっているし、そのもっと広い世界のどこかにはあなたが苦しまずに済む世界だってきっとあるだろう。だから、逃げるんだ! そういう趣旨の文章です。

 読んでみたいなと思いながら読んでいない本に、新渡戸稲造の「武士道」があります。ゲームや時代劇のように、実際の武士は命を投げ出すように死んだりはしなかったらしい。必要があるならいつでも死ぬ覚悟はあっても、逃げることで再起を図れるかもしれないのに死ぬのは、犬死と言われ軽蔑の対象だったとか。それと同じで、逃げることで再起を図れるのであれば、それは卑怯さでもなければ弱さでもない。

 伝えられるなら、伝えたいことは山のようにある。鴻上尚史の言うような南の島ではないけれど、逃げることで救われた人間をわたしは何人か見たことがあります。考えさせられるニュースが日々飛び交ってますが、拙いながらもこうして自分で考えたことも、心にとどめていきたいと思います。
posted by てつりん at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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