2014年01月07日

ことしのわたしは、たのしい。

 ほほ日のことを書くのはずいぶんとひさしぶりです。

 さときん帳の過去の記述をさかのぼってみたところ、どうもわたしは2007年から使っているみたいです。もちろん本体だけで、カバーは2009年からの使い回しですが、今年のものも買いました。なので8年連続か。そんなに続けていたつもりはないんだけどなぁ(笑)。過去の手帳はどこに行ったんだろう(爆)。ちなみにさとは、どうもその前の年からの愛用者っぽい。

 ところが、今年もすでに6日が終わってしまった今日になって、ようやく開封。こんなに遅いのは、今回が初めてではなかろうか。しかもその前段階として、作業スペース確保のため机の上を片付けて、それで各種半券などが発見されたのでいつもしているように昨年の手帳に貼った。そして昨年から書くようになった、2013年ふりかえりデータの項目を、今年の手帳に転記した。これでようやく去年の手帳を締めることができる。遅いって(笑)。

 いつもだったら最初にすることは、新しい年の予定を書くこと。例年、すでにチケットがとれていることがほとんどの、苗場の日程を最初に書くんだけど。今年は元日のできごととか、すでに終わったことを書くことが先になっちゃった。それというのも、何かとすること満載で、新しい年に気持ちを向けることも、終わっていく年の整理をつけることも、いまいち中途半端なままに時間が過ぎてしまったからなんだろう。

 なお今回のタイトルは、手帳についていた使い方紹介のような紙に書かれていた文の一説です。実に糸井重里っぽい思うのは、わたしだけかなぁ。「くうねるあそぶ」とか。「ほしいものが、ほしいわ。」とか。「おとなもこどもも、おねーさんも」とか。全部ひらがなじゃない。漢字混じりだけど「おいしい生活」ってのにも、そのエッセンスみたいなものを感じる。

 それはさておき、「ことしのわたしは、たのしい。」って、なんかいい感じだなぁって思った。個人的にはなんとなくどうなるのか、どうなっていくのかがわからない、漠然とした不安の中にいると思っている。それでも、新しい年が始まるなりの期待感とか。熱のこもった雰囲気とか。動き出すときのドキドキとか。そういったものが詰まっているような糸井重里の言葉に、今を委ねてみたいと思ったのでした。あしたのじぶんを、しんじて。
posted by てつりん at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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